自分の生まれは東北の秋田です。
しかし
小学校5年生の頃に茨城県の石岡という街で高校を卒業するまで過ごしました。
そして現在は神奈川県に移り住んでいます。
転々としていて
どこが自分の故郷なのかわからなくなってしまうのですが
小5から高校卒業まで過ごす中で友人はいますし
なんと言ってもいわゆる青春時代と言うのでしょうか?
そんな時代を過ごした茨城は自分の地元だと思っています。
その地元で一年に一度
『石岡のお祭り』と言うお祭りが3日間行われます。
子供が居たら一緒にいつか見たいなぁ.....
と思っていた地元のお祭りを娘と一緒に見て参りました。
[toc]石岡のお祭り
「石岡のおまつり」は正式には「常陸國總社宮例大祭」といい、
創建千年を誇る古社・常陸國總社宮の最も重要なおまつりです。
例大祭は近世以降に様々な要素が加わり、今日まで発展してきました。
延享年間(1744~47)に奉納相撲が始まり、地域経済が急速に繁栄した明治時代前半に、豪華な出し物が街なかを練り歩く、現在の基礎が固まりました。
当初は重陽の節句(9月9日)を中日とした3日間でしたが、1967年(昭和42年)に、新たに制定された祝日「敬老の日」(9月15日)を中日とする3日間に移行。 さらに、ハッピーマンデー法に伴って「敬老の日」が9月第3月曜日となった2004年からは、現行の、9月15日および「敬老の日」を最終日とする3連休(計3~4日間)に開催しています。「例祭」だけは、従来通り、毎年9月15日(固定)に行われています。
「おまつり」期間中は約40万人の見物客で市街地は大賑わいします。
石岡のおまつりは、「正月やお盆には帰省しなくても、おまつりには帰る」と言われるほど、出身者にとっては思い入れのある祭りで、石岡市民にとって、1年間でもっとも熱くなる日です。
なお、歴史的な研究、学術的な調査研究内容は、櫻井明氏「常府 石岡の歴史」(1977年、石岡市教委刊)所収に詳述されています。
「関東の三大祭」については諸説ありますが、
前述の「常府 石岡の歴史」によれば、1950年代初頭からうたわれ始め、かつて霞ヶ浦の水運で結びついていた千葉県香取市(旧佐原市)の「佐原囃子」、常陸国と武蔵国のつながりから武蔵府中の「大国魂神社」(東京都府中市)で行われている「府中暗闇祭」とあわせて、「関東の三大祭」と呼ばれるようになったとされています。
諸説の中には、
その2:石岡のおまつり、佐原の大祭(千葉県香取市)、川越まつり(埼玉県川越市)。
その3:東照宮千人武者行列(栃木県日光市)、秩父夜祭(埼玉県秩父市)、浜降(はまおり)祭(神奈川県茅ヶ崎市)などがあります。
http://www.ishioka-kankou.com/page/page000138.htmlより引用
地元にいた頃は知らなかったのですが『関東三大祭り』とも言われていたんですねぇ。
確かにお祭りの規模は大きく
街のほとんどを通行止めにして
3日間、山車や獅子舞が練り歩きます。
神奈川に来てからの地元のお祭りってスケールがちっちゃいなぁと感じていました
とは言っても街のほとんどを通行止めにして歩行者天国にはなかなかできないですからね....。
学生の頃はほんと楽しみでワクワクして心待ちにしていてた一大イベントでした。
今でも太鼓のリズムはすぐに思い出せます。
出店も多くお祭りならではの色々な食べ物を食べ歩きしたり
何よりもいつも行っていた中古ゲームソフト屋さんがセールしてるのも嬉しかった 笑
小中高でお祭りの過ごし方も微妙に違ったのもいい思い出です。
小学生の頃はとにかく出店や太鼓をたたくのが楽しかった。
中学生は仲間とワイワイ目的もなく街を練り歩く
高校生になると出会い的なものを求めて......
まぁ何もなかったけど笑
そんな石岡に戻るのは10年ぶり
今は実家に帰省する際は秋田に帰るので
茨城に友人はいるけれど家はない状態で中々足を運べなかったのです。
更に石岡のお祭りにを見にいくのは22年ぶり。
2年前に一度娘を連れて帰ろうとしたけれど
タイミング悪く発熱していた為、断念。
本当に久しぶりすぎるので
色々変わっているんだろうなぁとあの頃のように楽しみにしていました。
いざ石岡へ
9月の中旬のイベントでもう涼しいかと思えばまだまだ夏の気候です。
となればお祭りスタイルで行ったほうがいいでしょう。
甚平にキャップにリュックにスニーカー
そしてとびひしている為、掻き壊さないように包帯。
甚平を着せたのは自分ですが他のオプションは娘がチョイスしました。
独特の佇まいです。
電車に揺られること2時間ほど
最近は長い移動時間もそれなりにおとなしくして過ごしてくれるので助かります。
成長ですね。
22年の月日
22年ぶりの石岡のお祭り
10年ぶりの石岡。
まずは駅が全然変わっていました。
昔はこんな駅だったのに.....
しかし姿は変わらず残っているものも
今は改札を出てすぐに見えますが
昔は改札を出て左手の階段登らないとこの時計台にはたどり着けませんでした。
友達とこの辺りでよく喋っていたなぁ....と
この時計台そのものは昔のまま変わってません。
駅前の様子
駅前が以前より広くなったおかげかすごく明るくなった気がします。
以前はこんな感じ
もうすでに知っている街と違う印象をうけます。
10年ひと昔ですもんね.....。
そして早速、山車に遭遇。
やっぱり立派だなぁ。
初めて見るお祭りに圧倒され気味の娘うーた。
お祭り気分
正直ほぼノープランで来たのでまずはお祭りを味わう為に唐揚げ。
パパはビールでうーたはカルピス。
かんぱーい。
.......???
ミー........トソース........
お祭り来てパスタか.....
流石。平成20年代生まれだ......
そうこうしていると.....
獅子舞。
びびっています。
この後泣きました。
幌獅子(ほろじし)
車輪を付けた車体の上に小屋を作り、布の幌(胴幕)をかけます。
幌の色は通常2色で、布の色で町内が分かるように各町内独自の色を使用します。
この先端に獅子頭を付け、一人でかぶり持ち、舞ながら進みます。獅子頭の大きさは町内によって異なりますが、およそ幅50~60cm、重さは20kg前後となります。
小屋は標準で幅2m・奥行き5m・高さ2.5mあり、小屋の中には囃子蓮が乗り、大太鼓・小太鼓・笛・鉦(しょう)で奏でます。
曲は単純ですがこの曲に合わせ、幌を付けた獅子が舞う姿は勇壮なものです。
小屋を付けた幌獅子は全国でも珍しいもので、石岡のお祭り特有なものとなっています。
ちなみにこの獅子頭に頭を噛まれると子供が健康に育つと言われています。
頭を噛んで下さいとお願いしたかったよ......
まぁいきなりは怖いよね。
お祭りの年番制度
石岡のおまつりは、毎年交代で務める「年番町」を中心に行われます。
年番は15年に一度の輪番制で、年番町に当たる町は、おまつり最終日に前年番町から引継ぎを行い、翌年のお祭り最終日に次の年番町に引き継ぐまで、1年間、町ぐるみで神社への奉仕活動を務めます。
明治20年に4組の年番制が導入され、明治35年には現在まで続く年番制度が確立しました。
現在の中心市街地にあたり、当時の石岡町を構成した森木町、大小路町、土橋町、金丸町、守横町、冨田町、仲之内町、宮下町、青木町、幸町、國分町、中町、若松町、泉町、香丸町、木之地町の16町が各年、交代で、その年のおまつりをつかさどる当番となります。
=木之地は1952年(昭和27年)に年番を辞退。現在は15町内になりました。
「おまつり」期間中は、年番の町内に「仮殿」(地元では「おかりや」と呼ばれる仮設のおやしろです)を設けて、初日の「神幸祭」で総社宮から大神輿が渡御。最終日の「還幸祭」で大神輿が還御するまで、御分霊(常陸國總社宮の祭神の分身)の2泊3日の市中滞在拠点となり、その年のおまつりの中心的な役割を果たします。
神輿をかつぐのも年番町の若者の役割です。
例大祭に参加する常陸國總社宮の氏子町内には「相町」と呼ばれる、特に関係が深い町内が存在します。
年番の際に協力し合い(相互扶助)、まつりの成功に努めるのをはじめ、 年番以外でもお互いの町内を訪問し合い、関係を深めます。
(各町の山車や獅子に飾る提灯列の中に、1~2つ、相町の提灯を掲げています)
相町の組み合わせは次の通りです。
森木町―香丸町 大小路―守横町 土橋町―仲之内 金丸町―青木町 冨田町―国分町 幸町―泉町 中町―若松町 宮下町(木之地の離脱に伴い、単独に)
お祭りの歴史 常陸國總社宮について
常陸国の国府が置かれた時代、石岡は政治・文化の中心地として繁栄していました。
国府の長官(国司)の重要な任務の一つに国内の神社の管理と祭事の運営がありました。
新たに就任すると、国内の各神社を訪れて神々を参拝する「神拝」という行事がありましたが、この「神拝」を行うべき国内の神社の神々を一同に集め、祀ったのが「總社」でした。
社伝によれば,常陸國總社宮の創建は天平年間とも言われ、天神地祇の六柱が祀られています。 六柱の祭神は,
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
瓊々忤尊(ににぎのみこと)
大国主尊(おおくにぬしのみこと)
大宮比賣尊(おおみやひめのみこと)
布留大神(ふるのおおかみ)
これらの祭神名で国内の全ての神々をあらわしていると言われています。
このほか境内には十二末社があり、常陸国の主な祭神がここに祀られています。
例祭・・・石岡市の有形文化財に指定される常陸國總社宮の本殿で行われる、例大祭で最も重要な神事です。 毎年9月15日(固定)に総社宮の拝殿で氏子会長以下、神社総代や、氏子町内の代表者、各地からの来賓が参列して執り行われます。全町を代表して土橋町の獅子舞や冨田町のささらが奉納されます。観光行事はありません。
神幸祭(初日)・・・常陸國總社宮の御分霊(分身)が大神輿で年番町の仮殿へ渡御する祭です。 總社宮拝殿に各町の氏子代表が参集して、発輿祭(はつよさい)を行います。 午後2時、花火を合図に大神輿が出御。氏子会町以下、全町の幌獅子まで合わせて2千人を超える供奉行列とともに年番町の仮殿(おかりや)へ向かいます。
奉祝祭(中日)・・・常陸國總社宮境内では午前中、奉納相撲が開かれ、午後、神楽殿で巫女舞や、染谷の十二座神楽が奉納されます。 午後3時から駅前通で幌獅子パレード 午後6時45分から同じく駅前通で山車パレードが催されます。 午後8時半ごろ仮殿祭。神事、巫女舞、紅白餅をまきます。
還幸祭(最終日)・・・午後2時、年番町御仮殿より大神輿が出御し、神幸祭と同じ供奉行列で、逆コースを還御します。 午後4時、神輿が常陸國總社宮に帰着すると、神事、年番町の引き継ぎが行われます。
こうしてインターネットで調べてみると
そうだったのか....!
とお祭りの歴史や概要を今更ながらに知りました。
懐かしの場所へ
お祭りが主な目的ではあったのですが
久しぶりに石岡に訪れたので
かつて住んでいた場所とか
通っていた学校に娘と行きたいなぁという思いがありました。
かつて住んでいた場所へ
まずは当時住んでいた団地へ。
行く途中に母とテレビ電話しながら行きました。
母親ももう石岡を離れて17年ほど経っているとの事。
昔、家族で住んでいた家をもう見る事は無くなっていたので
さぞ懐かしいだろうと思いカメラ越しに見えるように。
今の生活では思い出として残ってる場所が現実の目の前にあるんだなぁ....
昔の生活の中心はここでここが現実だったのに....
なーんて
なんか不思議な感覚になりました。
そしてなんだか目から涙が.....
本当、最近なんでも感傷的に捉えてすぐ涙腺が緩みます。
もうひとつ現実なのに現実っぽくない事が
うーたと一緒にここにいる。
これも不思議な感覚すぎます。
自分の子供がいるなんて想像も出来なかった時代を過ごしていた場所に
自分の子供といる。
感慨深いものがあります。
...........
テレビ電話で母と会話しながら
決して綺麗ではない団地を
目には涙を溜めながら
子供と一緒にウロウロしている。
いや。
客観的に見て
かなり危ないやつですね......。
(よかった人がいなくて!!!!)
通っていた小学生へ
続いて通っていた小学校へ。
行く途中の街並みは懐かしいけど知らない街のようにも感じる不思議感覚。
ここは......昔からあるし昔から思ってるけど
なんのお店だったんだろう。
鳥獣......。いまだに謎。
懐かしの小学校到着。
22年よりもっと久しぶりに訪れた。
懐かしすぎる........!!!!!
グラウンド。
昔、絵のコンクールがあって入賞したんですね自分。
めちゃくちゃ嬉しくて嬉しくて。
で、このグラウンドの朝会で入賞者の発表と賞状の授与があったんです。
朝会前に担任の先生になにか言われたんだけれど
テンションが上がってる自分は話を聞いていなかったんですよね。
そして朝会がはじまり賞状の授与式になって名前が呼ばれる訳です。
自分の名前が呼ばれて
元気よく返事をして
いそいそと壇上めがけて歩いていきました。
すると担任が首と手を横に振り
違うよ!違うよ!
と言っていました。
何言ってるんだ自分は入選したんだぞ!間違っていないだろう!
と思っていたのですが
後から気付き、顔面、真っ赤っかになりました。
1人づつに賞状をわたすのではなく
代表で1人呼ばれて壇上で貰うという事でした。
そう代表はもちろん自分ではありません。
ひとりで自信満々で手なんか大きく振ってあるいちゃって
いやいやお前じゃないんだよーー!
ってみんなに突っ込まれる
壮大なボケを披露してしまいました。
そんな思い出のあるグラウンドに娘がいる。
何回もいうようですが感慨深い......。
そうそう.....丁度うーたが指差しているぐらいの場所で
のら犬に追いかけられたなぁ.....
めっちゃ追いかけてきてグラウンドぐるぐる回って
自分は噛まれないように必死だったので
教室の窓から見ている生徒に
めっちゃ爆笑されてたな.....
そう....こんな感じで走って逃げてたんだと思う。
あれ?.......
自分あんまりこのグラウンドにいい思い出.......
ない........?
うーたは遊具で楽しそうに遊んでいました。
色々思い出したけど
やっぱり思い出のある場所はどんな思い出だとしても
優しく感じる......
はず。
親友のお宅へ
10年ぶりに帰ってきた訳ですが
全く持って懐かしい友人にバッタリ出会えません。
しかしそれは想定内。
なので地元で仲の良かった親友とは事前に会う約束をしていて
尚且つお家に泊めてもらおうと約束をしていました。
待ち合わせまでまたお祭りを見学。
それなりにお祭り気分を堪能して
親友と合流。
この親友とは小中高と一緒で
1番親しいのに苗字に君付けで呼んでいる。
10年ぶりに会っても全然変わらない。
安心します。
親友とは学生時代のほとんどを一緒に過ごしました。
いつも何をやるにも自分より一歩早かった。
アルバイトを始めるのも早かったし
耳にピアスをあけるのも早かった。
車に乗り始めたのも早かったし
そして彼女を作るのも早かった。
周りに彼女が出来て自分だけ出来なくて
ふて腐れているところをおこられたりもしたなぁ
でも不思議と悔しくはなかった
尊敬もしていたのかもしれない。
もちろん結婚も早かったのです。
親友の結婚式には
[家に泊まりにきた親友が半日以上起きてこなくて
自分の母が死んでるんじゃないかと心配した]
なんてエピソードをいれた
スピーチもしました。
多分、結婚式で友人代表でスピーチをしたのは自分のほうが先だと思います。
これだけは勝った。
(せつない)
子供も3人いて
お家も建てている。
何から何まで先を越されていますね。
しかも素敵なお家だった。
天井が高くて解放感があり
広いのだけど家族の距離が近くに感じられるのだろうなと思うお家の作りでした。
そして長女はもう中学生で思春期ならではの悩みなども聞きました。
そんな親としての悩みも先を行っている。
すごいなぁ。正直羨ましい。
うーたもこんな家庭に産まれていたらよかったのに....
なんて思ってしまった。
いやいや。
もう一つ自分の方が先に体験している事がありました。
離婚。
する
しない
なら、しない方がいいけど
でもそのおかげで仕事で育児に関われない父親よりも
一つ一つ些細な事の成長を感じられる。
よく幸せは感じるものだと聞きます。
確かに幸せだと思えば幸せだし不幸だと思えば不幸。
考え方次第だし
実際、娘と一緒にいれる今は自分はすごく幸せな事だ。
娘もそのうち色々と物事がわかってきて
自分が今の環境を幸せだと感じてるように
うーたも感じてくれるかな?
なんて
久しぶりに会った親友と酒を飲みながら
お互いの近況など語りながら
ぼんやりと考えていたお祭りの夜。
まとめ
田舎に帰ってものすごくノスタルジーに浸ってしまいました。
あの頃の自分が活動していた場所
交流していた人々
その中に自分の娘がいる事が不思議な感覚です。
そしてあの当時も年々遊び方や感じ方が変わっていったお祭り。
随分と歳を重ねた今また違う感じ方をしました。
石岡から戻った後も
と話す娘。
『また来年もおいでよ。お互いの子供の成長見れるしさ。』
と行ってくれた親友。
毎年この季節に行きたい所が増えました。
たまに帰れる田舎があるのは幸せな事ですし
子供と一緒だと懐かしさとと共に色々感じる事ができるなぁ
なんて思ったプチ帰省でした。
それではこの辺で。
しーゆー。